海鳴りの島から2

目取真俊のブログです

沖縄戦と辺野古新基地建設/名護市安和区で81年前に起こったことと今も行われていること

 比嘉進慂さんの漫画『カジヌムヌガタイ 風が語る沖縄戦』がちくま文庫から再刊されていて、帯に推薦文を書かせていただいた。収められている作品はフィクションだが、表題作の「カジヌムヌガタイ」は、沖縄戦当時に起こった出来事を基にしている。

 儀保栄次郎『軍国少年がみたやんばるの沖縄戦 イクサの記憶』(榕樹書林)にその出来事が記されている。参考資料として以下に紹介したい。

 

〈米兵への報復作戦

 次の事件は先輩の仲村善雄さんから聞いたものである。六、七月までに安和は米軍基地にされていて、シマの人たちはシマに帰ることもできず、嘉津宇岳と安和岳の谷間の我謝如古に避難したままであった。そこへ米兵二人が毎日やって来て、村人が抵抗しないのをいいことに、村人の目の前で婦女暴行を平気でやっていた。その無謀さ理不尽さにしびれを切らした婦人たちが、「このまま恥をかかされていては我慢ができない。後で報復されてシマンチュ全員が殺されてもいいから、あいつらを殺してくれ」と男たちに懇願した。

 周辺には宇土部隊の敗残兵たちも多数隠れていたが、報復を恐れて手出しができなかった。そこで村の男たちは、宇土部隊の浜元伍長を中心に、米兵をやっつける綿密な計画を立てた。まず、第一陣には浜元伍長と在郷軍人が彼らの行く手をさえぎり、棒でなぎ倒して殺す。第二陣には村の壮年たちが、一陣が仕損じた場合に備えてこれも棒で打つ。さらに第三陣は青年と若い学生たちで、棒で打ち殺すとし、三段構えで絶対に逃がさないよう計画した。

 当日も黒人米兵二人は武器も持たず丸腰でやって来て、婦女を暴行した後、悠々と引き上げて来た。一同は計画の通り、道路脇の草むらから飛び出して、米兵の行く手をさえぎると同時に、棒で足をなぎ倒すと、米兵は突然の襲撃にたまらず崩れ落ちた。身の危険を感じた米兵は、大声を上げて哀願し助けを求めたが、これまでの鬱憤を晴らすかのように、一同は怒りを込めて石で頭を打ち砕いた。米兵が死んだのを見届けて、道路脇に穴を掘り、土をかぶせて埋葬したが、後で見つかって報復されては困るので、掘り返して近くにあった深い洞窟に、両手・両足を掴まえて放り込んだ。死体はゴトン、ゴトンと大きな音を立てて落ちていった。シマンチュ、婦人たち一同もおおいに留飲を下げることができた。その後、懸念していた米兵の報復はなかった。

 この事件を指揮した浜元伍長は、戦後戦犯として責任を問われたが、拳銃自殺をしたと伝えられる。近年になって、米国はこの黒人兵の遺骨を収拾し持ち帰ったようだ。その洞窟は今も「黒ん坊ガマ」と呼ばれている。

 戦後二、三〇年経っても、私はこれらの記憶がトラウマとなって、母や姉たちが米兵に追っかけ廻される夢を見て、冷や汗を流すことがしばしばあった。当時は身内が暴行されて恥をかくよりは、殺されたほうがましだと思ったほどであった。婦女暴行は殺人よりも悪質な人権侵害であり、絶対にあってはならないことである。

 この事件は比嘉慂のコミック「カジヌムガタイ」(二〇〇三・講談社)によって広く紹介されたことを書き添えておく〉(65~67ページ)。

 

 この出来事が起こった名護市安和区では現在、辺野古新基地建設の埋め立てに使用される土砂の積み込み作業が、琉球セメントの桟橋で行われている。

 名護市安和区で81年前に起こったことと、今も日々行われていること。戦争と基地、歴史と現実が一つながりに露出している安和の抗議行動に、ぜひ足を運んでほしい。